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妙福寺あれこれ

2019/07/01

仏になるみちは 善知識にはすぎず

ー師ー 
 
 物事を学ぶ上で師匠は絶対になくてはならない存在です。師に就いてこそ初めて教えを受け成長へと導かれるのです。これはどの分野でもいえることではないでしょうか。
 一方、「無師独悟」といってまったく師に就かず、自分で道を極めたという人も中にはいるかも知れません。しかし、その人とて最初からそうではなかったでしょう。必ず誰か導き手がいたはずです。
 成長に決して欠かせない師との出会い。今一度その師への思いを巡らせたいものです。
 
日蓮聖人ご遺文
 
  『三三蔵祈雨事』
 
 本書は駿河国富士郡西山郷の地頭で熱心な信徒だった大内三郎安清氏への手紙です。
 ここでの「善知識」とは衆生を成仏に導く師という意味です。
 冒頭で何事に於いても良き導き手が重要で、仏教史上、当初は悪人だった阿闍世王も釈尊に導かれて成仏できた故事を引かれています。しかし、一方でその善知識に会うことの難しさも述べられています。
 信仰は良き手本、良き導き手が最重要と強調されています。 
  
建治元年(1275)   聖寿54歳
   
 

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