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住職日記

2025/08/07NEW

立秋と仏教──季節の”あわい”を感じる

まだまだ蝉が鳴き止まず、熱帯夜が続く。それでも暦の上では「秋」が始まる──そんな立秋に、仏教と和歌、そして自然の声から、少し涼しくなる話を。

 

立秋。

毎年8月7日ごろ、暦の上ではこの日から「秋」に入ります。
けれど、外を歩けば汗だく。日差しは鋭く、蝉の声は容赦ない。

「どこが秋なんだ」と、つい文句のひとつも出たくなる時期です。
けれど、仏教の視点から見れば、この「暦の先取り」には深い意味があります。

仏教の基本的な思想のひとつに「諸行無常」があります。

すべては変わりゆく。

そしてその変化は、いつも目に見えるかたちではなく、静かに、音もなく、訪れることが多いのです。

 

 

たとえば、『古今和歌集』巻四にある藤原敏行の歌──

 

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

 

これはまさに、「立秋の日」に詠まれた和歌です。

秋が来たとはっきり目には見えないけれど、風の音にその気配を感じた。

ここには、視覚ではなく聴覚で季節の移ろいをとらえる、日本人の繊細な感性が息づいています。

まさに、仏教が大切にする「気づき(サティ)」の心です。
日常の中にある変化、目には見えないけれど感じ取れるもの。
それに耳を澄ますことは、心を整えるひとつの実践でもあるのです。

 

 

仏教では、すべての現象が移ろいゆく「無常」であることを受け入れ、

それを苦ではなく、むしろ今ここを大切にする智慧として説きます。

暑さのなかでふと吹いた風、蝉の合間に混じる秋の虫の声。

立秋は「残暑」の始まりであり、同時に「秋の入口」です。
暑さと涼しさの“あわい”を通り抜ける、心の風を感じていきましょう。

その「小さな変化」に気づくこと。
それこそが、仏教の教える“心の涼”なのだと思います。

 

よろしければ下記の記事もお読みいただけると嬉しいです。
シリーズ「マインドフルネスと暮らし」──こころの"休日"をつくる

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