お問い合わせ

妙福寺PRESS:妙福寺から日々のつぶやきやニュースをお届けします

妙福寺トップページ  >   妙福寺PRESS  >  妙福寺あれこれ  >  吹く風も、流れる水も──世界はすでに語りかけている

妙福寺あれこれ

2026/01/01NEW

吹く風も、流れる水も──世界はすでに語りかけている

「吹く風もゆるぐ木草も流るる水の音までも、妙法の五字を唱えずということなし」
 (波木井殿御書)

日蓮上人が残したこの言葉は、一見すると宗教的で、現代の忙しい生活とは距離があるように感じられるかもしれません。

 
けれど、少し立ち止まって読み直すと、これは人と世界との関係そのものを問い直す一文だと気づきます。
 
ここで語られている「風」や「水」は、単なる景色ではありません。
仏教語としての「自然」は〈しぜん〉ではなく、〈じねん〉と読みます。
それは、山や川といった人間の外側にある対象を指す言葉ではなく、それ自体で存在し、おのずからそうである在り方を意味します。
 
古来、日本人が感じ取ってきた自然は、客観的な生態系ではありませんでした。
人間の外に「眺める対象」として存在するものではなく、
自分の内側にも通じている感覚として捉えられていました。
この〈ジネン〉という感覚は、
「オノズカラシカナリ」という訓読みが示す通り、
外から強制される秩序ではなく、
本来そうありたい姿が、自然に立ち現れてくる状態を指しています。
 
一方、私たちが普段使っている〈シゼン〉という言葉は、
明治以降に〈ネイチャー〉〈ナチュール〉を訳したことで定着した、
いわば外来の概念です。
 
人間の外側にあり、管理し、保護し、時に利用する対象としての自然。
このズレは、環境問題の捉え方にも影響しています。
自然を「外側のもの」として扱えば、
環境問題はどこか他人事になりやすい。
 
数値や目標の話になった瞬間、生活感覚から離れてしまうのです。
けれど〈ジネン〉の視点に立てば、話は変わります。
 
自然を壊すことは、自分の内側のリズムを壊すこととつながります。
働きすぎて心身をすり減らす現役世代の姿と、
過剰な消費と開発で疲弊する環境の姿は、よく似ています。
 
どちらも「本来のペース」を見失った結果です。
 
上人の言葉が示す世界では、
風も、水も、草木も、ただ存在しているだけで「語っている」。
無理に主張せず、急がず、しかし確かに変化し続けている。
 
それは、「もっと頑張れ」と言う声ではありません。
「本来の在り方から、離れすぎていないか」と
静かに問いかける声です。
サステナビリティとは、社会や地球の話である前に、自分の生き方を持続可能にすることなのかもしれません。
 
通勤途中に感じる空気の重さ。
年々厳しくなる夏の暑さ。
ふとした瞬間に覚える違和感。
 
それらは、ニュースよりも早く、
〈ジネン〉が崩れ始めていることを教えてくれています。
 
吹く風も、揺れる木草も、流れる水の音も、今日も何かを唱えています。
 
それに耳を澄ませることは、環境のためであり、同時に自分自身を取り戻すための行為でもあるのです。
 
何かを変えなくても構いません。
 
まずは一日のどこかで、空を見上げ、風を感じ、音に耳を澄ませる。
その小さな余白が、あなた自身の〈持続可能な生き方〉を支えてくれるはずです。

妙福寺あれこれComments(0)

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

*

code

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

次の記事へ

バックナンバー

RSS Feed

Twitter

IMG_1163

妙福寺おすすめ本

「名前のない関係」に生きる勇気──『ババヤガの夜』と“空”のレッスン

レビューを読む