『昔話の深層』
河合隼雄
妙福寺トップページ > 妙福寺PRESS > ご供養について > 「先祖供養って本当に必要?」と感じるあなたへ
「正直、亡くなった人に手を合わせても意味があるとは思えない」
そんな感覚を持つ人が、現代では少なくありません。
科学的根拠もない、目に見える効果もわからない、そう感じるのは当然です。
でも、少しだけ視点を変えてみませんか?
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供養とは「相手のため」より「自分のため」
多くの人は「供養=亡き人へのサービス」だと思いがちです。
でも実は、供養とは亡き人の為だけではなく、
「生きている私たちの心の整理」や「立ち位置の確認」の為でもある行為なのです。
私たちが日常で抱えるストレス、不安、孤独感。
その根底には「自分は何者なのか」「自分は必要とされているのか」という感覚の薄さがあります。
先祖供養は、その「自分のルーツ」を改めて意識する時間です。
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自分の命は「偶然」じゃない
今の自分がここにいるのは、両親がいて、そのまた両親がいて……何百年、何千年もの命のリレーがあったからこそ。
「自分が生まれた確率は奇跡的なものだ」と聞いたことがありませんか?
供養の場で、ふとその事実に触れること。
それは「今ここにいる意味」や「自分の命の重さ」を再確認する大切な機会となります。
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心のケアとしての役割
心理学の分野でも、ルーツ意識の希薄さは「自己肯定感の低下」や「人生の迷子感」と関連があると言われます。
供養は、亡き人への祈りだけではなく、むしろ「自分の命の土台を見つめ直す」行為ともいえます。
仏壇に手を合わせることは、「ああ、自分はつながっている」「一人で生きているんじゃない」という感覚を思い出させてくれませんか。
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「信じる/信じない」でなく、「立ち止まる時間」として
別に魂を信じなくてもいい。死後の世界を信じなくてもいい。
でも、忙しい毎日の中で、数分でも「自分の来し方」をふり返る。そのための「先祖供養」という場がある、そう考えてみるのも一つの選択肢です。
供養とは、亡き人のための“イベント”ではなく、「生きている私たちが、前を向くための、心の習慣」。
きっとそれだけでも、十分に意味があるのではないでしょうか。
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