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2025/07/28NEW

「名前のない関係」に生きる勇気──『ババヤガの夜』と“空”のレッスン

人は、なぜこれほどまでに関係性に「名前」をつけたがるのでしょう。

友人、恋人、夫婦、親子、同僚──。

関わる人を何らかのカテゴリに当てはめることで、安心しようとするのは人間の習性なのかもしれません。
けれど、そのラベルの内側で、息苦しさを感じたことはありませんか。

「こうあるべき」という期待が、私たちの言葉にできない“心地よさ”や“しっくりくる距離感”を否定してしまうこと。

今回、日本人初のダガー賞を受賞した王谷晶の小説『ババヤガの夜』は、その「名前のない関係性」の可能性をそっと照らし出してくれる物語です。

ラベルの外側に広がる世界

『ババヤガの夜』の登場人物たちは、どこか壊れやすく、孤独で、それでも誰かとつながりたいと願っています。

けれど、そのつながりは「友達」「恋人」といった言葉ではうまく説明できない。


 

社会は、こうした関係性を落ち着きなく見つめます。

「つまり何なの?」と定義を迫り、「どんな関係?」と聞きたがる。

しかし、王谷晶はこの物語の中で、ラベルの外側にあるもの──

言葉で定義できない関わりが持つあたたかさ、自由さを描きます。

夜の静けさのように、柔らかく、しかし確かに存在する“誰かとの距離感”。

読後、あなたの身近にも思い当たる関係があるかもしれません。

言葉が固定するもの、奪うもの

 

 

 

男に見えるものと女に見えるものが一緒にいれば、すなわちそれは夫婦と見られる。カタにはまった世の中ほど騙しやすい。一度カタにはまったふりをしてしまえば、誰も新道と尚子が本当は何なのか、どういう人間なのか、気にかけない。

ババヤガの夜 文庫版 p178

登場人物が語る通り、私たちの認識にはクセがあります。

それは自分が経験した事がなかったり、認識できないモノゴトを、自分が理解できる範囲のモノゴトに変換し、既存のカタにはめて理解することです。

仏教の「空(くう)」という教えは、「すべてのものごとは固定的な実体を持たず、常に変化している」という考え方で、それは自分の認識や、その認識によって与えた名前やラベリングは固定的ではなく、時間や状態、関係性によって常に変化する、だからその認識やラベリングに縛られず、常に変化を観察しなさい、という教えです。

例えば、ここに2本の棒があります。

Aの棒は5cm

Bの棒は10cm

Aの棒を認識する為に、名前をつけます。

「短い棒」

となると、Bの棒は

「長い棒」ですね。

しかし、ここでCという15cmの棒が並んだらどうでしょうか。

A「短い棒」

B「中くらいの棒」

C「長い棒」

ここでBのラベリングに変化が訪れました。

さらにD,E,Fと増えたら、さらに変化していきます。

それぞれの棒にラベリングした「〜〜な棒」という属性は常に変化をして固定的ではありません。

このように、目で見て比較できるものは、一度ラベリングしても張り替えやすいですが、目に見えないものは一度ラベリングすると、なかなか変化に気がつけず、決めつけでモノゴトを捉えがちになります。

人の関係性も同じです。

「この人は友達だ」と言葉でラベリングした途端、私たちは無意識に「友達らしい」ふるまいを期待し、「友達らしくない」行動に傷つきます。

けれど、人も関係も絶えず揺れ動くもの。今日の心地よさが、明日も同じとは限らない。

言葉は便利です。

でも、言葉は同時に、ものごとの流動性を封じ込めてしまうこともある。

固定観念に縛られず、変化を受け入れる姿勢こそが“空”の実践なのです。

名前がないから、自由になれる

ライフスタイルにも同じことが言えます。

「会社員」「母親」「フリーランス」など、社会が用意したラベルは数多くあるけれど、そのどれもがあなたを完全に説明できるでしょうか。

「何者なのか」という問いに答えられない不安。

でも、それは実は自由の兆しです。

ラベルがない状態は、どこにでも動けるし、誰とでも新しい関係を結べる余白を持っているから。

『ババヤガの夜』の登場人物たちがそうであるように、私たちも「名前のない関係」に身を置いていい。

そして「名前のない自分」でいる時間を、もっと大切にしていい。

言葉に縛られず、変化に寄り添う

“言葉にできるものだけが真実じゃない”と気づくこと。

それは関係性に限らず、仕事、暮らし、人生観すべてにおいて当てはまります。

肩書きやステータスに頼らず、「いまこの瞬間、どんな関係が心地よいか」「どんな働き方が自分らしいか」を感じ取る。

そこから始まる生き方は、社会の型にはまらないぶん、不安もあります。

でもその不安の先にこそ、言葉にならない深い満足感が待っているのではないでしょうか。

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