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2025/09/01
「思い合わぬ人を祈るは、水の上に火をたき、空に家をつくるなり」
『弁殿御消息』
建治2年(1276)55歳
日蓮上人がこの言葉で伝えたのは、
「どれだけ願っても、条件が整わなければ成果は生まれない」という現実です。
水の上に火を焚こうとしても、じゅっと音を立ててすぐに消えてしまう。
空中に家を建てようとしても、足場がなければ何も立たない。
つまり「土台がなければ成り立たない」ということ。
この比喩は数百年前も、現代でも驚くほど通じる話です。
祈っても変わらない現実に出会うとき
たとえば、職場での人間関係。
「あの人ともっと分かり合えたら…」と心の中で何度も願っても、相手がこちらに興味も好意も持っていなければ、距離はなかなか縮まりません。
恋愛でもそうです。
こちらの想いがどんなに強くても、相手が同じ温度で応えてくれなければ、関係は進みません。
こういうとき、私たちは自分を責めがちです。
「努力が足りないのでは」「もっと頑張れば変わるのでは」と。
でも、上人の比喩は、そんなときの心に冷静さを取り戻させます。
水の上に火を焚くことは、火が弱いからできないのではありません。
条件そのものが揃っていない現実を示しているのです。
「土台」を見極めるという選択
この言葉から得られる大きなヒントは、「諦めること」ではなく、「見極めること」です。
ここでいう「諦める」は、仏教でいう“あきらめ”――つまりギブアップの意味ではなく、「諦(あきら)かに観る」ことを指します。
物事の本質や現状を冷静に見極め、その上で進むか退くかを判断するという姿勢です。
無理な状況に力を注ぎ続けるのではなく、そのエネルギーを別の場所へ向ける選択。
それが「水の上に火を焚く」ことから抜け出す第一歩です。
知人に、転職を繰り返していた人がいました。
新しい職場に行くたび「この人たちとは合わない」と感じ、また別の場所へ。
けれど、あるとき彼は気づきました。
「職場選びの前に、自分の価値観や働き方の軸をはっきりさせないと、どこへ行っても同じことの繰り返しになる」と。
これはまさに「空に家を建てる」ようなもの。
まずは地面――つまり自分の基盤――を固めない限り、安定は得られません。
日常に応用するための3つの視点
執着を手放すという自由
先の上人の言葉は、「願いを持つな」という教えではありません。
むしろ、願うことは大切です。
ただし、その願いが叶うためには、現実的な条件や環境が必要だと知ること。
条件が揃わない場所で延々と力を注ぎ続けるのは、自分の命の火を無駄に消費してしまうこと。
その火は、自分の歩むべき方向でこそ燃やすべきです。
執着を手放せたとき、心は不思議なほど軽くなります。
そして、新しいご縁やチャンスが見えてきます。
現代人へのメッセージ
私たちは日々、多くのことを「頑張ればなんとかなる」と信じて生きています。
けれど、その裏には必ず「土台」の存在があります。
水の上に火を焚くことはできません。
だからこそ、火を焚ける場所を探す。
空に家を建てられないからこそ、まず地面を見つける。
それは現実を直視する勇気であり、自分の命を大切にする選択でもあります。
あなたの今日の努力は、ちゃんと「火が燃え続ける場所」に注がれていますか?
もしそうでないなら、火種を持って移動することを考えてもいいのかもしれません。
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