昭和28年(1953年)、東京の七面講中が家内安全を祈り、また祈願満足・修行不退・衆望亦足{えきそく}・信力増進を祈願して、堂守の日榮と妙久法尼により建てられた。昔は堂守がいたようで、妙福寺墓地にも安政6年(1859年)に亡くなった七面堂火守(日久信尼)の墓がある。
当サイトはJavascriptをオンにしてご利用ください。